「自分で決める」 | coffee house  

「自分で決める」

梨木 香歩
西の魔女が死んだ

 日本の未来を占う総選挙が終わりました。連立与党が2/3以上の議席を獲得するという信じられない結果になりました。僕の投じた票は見事に消えてしまいましたが、あらためて小選挙区制の恐ろしさと小泉さんのカリスマ性を知ることになりました。

                                

 いい機会なので、前回から引き続き梨木香歩さんの『西の魔女が死んだ』の言葉を引いてみようと思います。

              

 中学生のまいは喘息もちで、感受性が強く、学校に馴染めず、家でもなんとなく居場所が見つかりません。登校拒否になったまいは、しばらくおばあちゃんの家で療養することになります。おばあちゃんは先祖代々の魔女です。まいはそこで魔女になる訓練を受けるようになります。どうやら魔女になるための必須条件とは、「自分で決める」ことに尽きるらしい。

 ある晩、おばあちゃんはまいに、自分の大事にしているマグカップを具体的に思い描くように、と言います。ところがなかなかうまくいきません。夢と現の境をしっかりと捉えて想像するように、と教えられます。

 

「(略)それができるようになったら、今、現実には見えないもの、例えばこの箱の中身だとかそういうものを見たいと思い、実際に見えるようにするんです。そうなるまでにはかなり時間がかかりますけどね。でも、気をつけなさい。いちばん大事なことは自分で見ようとしたり、聞こうとする意思の力ですよ。自分で見ようともしないのに何かが見えたり、聞こえたりするのはとても危険ですし、不快なことですし、一流の魔女にあるまじきことです」

 僕は今回の選挙で、「自分で見ようともしないのに何かが見えたり、聞こえたり」した人がたくさんいたんじゃないかなぁと思います。「国民各人が自分の意思で、しっかりとその『箱の中身』を見たいと思い、そして実際に見えていた」とは思えないんです。

          

 それぞれ個性をもった人間があれだけ集中的に一つの政党(というよりも一人の人間)の政策にほれ込むとはどうしても思えない。別に各党のマニフェストを深く掘り下げて比較検討して投票しろ、とまでは思わないですが、少なくとも小泉さんの主張の「箱の中身を意識して捉えて、想像すること」は必要だったんじゃないかと思います。

        

           

 ナチスのヒトラーが戦時宣伝についてこんなことを言っています。

 「大衆の受容能力は非常に限られており、理解力は小さいが、そのかわりに忘却力は大きい。この事実からすべて効果的な宣伝は、重点をうんと制限して、そしてこれをスローガンのように利用し、そのことばによって、目的としたものが最後の一人にまで思いうかべることができるように継続的に行」うべきだと。(『わが闘争(上)』アドルフ・ヒトラー著 1973年 角川文庫)

 
 小泉さんがヒトラーのような独裁者だとか、軍国主義者だとか言っているわけではありません。ただ、小泉さんは僕たち国民一人一人のなかに潜んでいる不安や焦燥、倦怠感や無力感やもっといえば絶望感のようなものを、さっと掬い取る
コツみたいなものを(先天的に)知っている人で、僕たちはほとんど無批判に(梨木さんのいう)自分の「裏庭」に小泉さんを立ち入らせているんじゃないか、と思うんです

  

 僕は以前にも言いましたが、今回は自民党を(小泉さんを)応援していました。だけど、マス・メディアに出てくる小泉さんはどうしてもうさんくさい。対立候補の立て方もマニフェストの内容も、どれも空疎で無意味なものに感じてしまう。20年後のこの国の姿を思い浮かべられないし、住みよい社会の気配もなぜか感じられない。なのに・・・、箱の蓋を開けてみれば、前代未聞、空前絶後の結果で、自民党の圧勝に終わりました。(ちなみに僕は迷いながらも、比例区は自民党に入れなかった)

     

 僕は、小泉さんは正しいことをしてくれる、と信じています。でも、もし今後の政治家で小泉さんのようにカリスマ性があって、相好にも優れた人がでてきて、その人がとことん(うまく)悪政を行い、戦争へつき走るような人であったときに、果たしてこの国の国民は「NO」と言えるのか、とても疑問に思います。そして「自分で決める」ということは「自分で責任を負う」ということですが、与党に2/3も議席を与えてしまった僕たちは、ほんとうに責任を負えるのだろうかと怖くもあります。

 

 やっぱり、「自分で見ようともしないのに何かが見えたり、聞こえたりするのはとても危険ですし、不快なこと」だと思います。



 梨木香歩 『西の魔女が死んだ』(小学館:1996年)