『ダンサー・イン・ザ・ダーク』 | coffee house  

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』

 『春琴抄』からの失明つながりということで、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を観ました。僕はこの映画がすごく好きなのですが、なぜか僕の周りにはこの映画が嫌いな人が多いようです。たくさんのテーマがそれぞれ重過ぎて、痛々しくて、辛過ぎるから、(あとミュージカルも?)どうも苦手だということです。でも、今回はじっくり観たのですがどうやら僕はやっぱりこの映画が好きみたいです。

 

 一人息子を抱えるシングルマザーのセルマは、先天的(遺伝的)な目の病を患っており、光を失いつつあります。そのほとんど視力のない状態にも関わらず、彼女は工場で長時間の労働に勤しみ、さらに内職までも行っております。というのも、それは同じ病が遺伝した一人息子の手術費用を貯めるためです。でも、ある日遂にセルマは完全に視力を失ってしまい、工場を解雇されてしまいます。その日、(彼女に思いを寄せる)ジェフに連れられて家に帰る途中の線路でのエピソードです。

    

ジェフ:「目が(もう全く)見えないのか?」

セルマ:「(この世界にまだ)見るべきものがある?」


 僕は見栄張りな人はあまり好きではありませんが、強がりの人がとても好きで、このセルマの強がりには思わず泣いてしまいそうになりました。彼女は辛い時苦しい時に、空想の世界に没入し、そこで彼女なりのミュージカルを演じます。この時のミュージカルの曲名が「I've seen it all(私はもう全部見てしまった)」です。

  

 緑の木々も見た、人が死んでいくのも見た、自分の過去も見たし未来も分ってる、何もかも見てしまった今ではもう見るものはなにもない、というふうに目が見えないことを正当化(合理化)するようなことをセルマは延々と(彼女の空想の)ミュージカルで歌い続けます。セルマ(ビョーク)の歌声がとても切ないし、その歌詞ににじみ出る「強がり」は本当にうるっときます。

 

 その後の彼女が辿る運命はかなり凄惨な事柄の連続です。セルマはほぼ完全に「神に見捨てられた善人」で、だからこそ彼女の一つひとつの強がりと、それが脆く崩れ去る瞬間は息を呑み、心が痛み、涙が流れます。『春琴抄』の佐助の愛の重さとそれに伴う自己犠牲も相当なものですが、セルマのそれもかなりリアルに痛いです。

    

 映画を見終わると、さてこの映画にはいったい「救い」というものがあるのかなぁ、と考えさせられます。

  

 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(ラース・フォン・トリアー監督 2000年 デンマーク)